宮城県石巻を訪れて 2016
震災から5年経ち、とりあえず瓦礫の山は姿を消し、
罹災したものの数年そのままになっていた家も取り壊され、
住宅や工場やお店など、新たに建物も増えて、町の景色はずいぶんと変わったように感じました。
※2013年、震災から2年目。はじめてこの地を訪問した際のブログです。
http://d.hatena.ne.jp/iammeijin/20130522#1369228698
表面的に目に映ったものばかりを、
ほんの数枚の写真で伝えることしか出来ませんが、
ご覧いただけますと幸いです。
ちなみに私はボランティアに行くわけでもなく、ただ現地で「消費」することしかしていません。
宮城のものを食べ、宮城のものを飲み、宮城の空気を吸って、宮城の方とお喋りするだけ。
人間ならば、どこに居ようと当たり前に行うことを、石巻でしただけに過ぎません。
それどころか、当時罹災されて大変な想いをなさった方々から、
あったかい言葉、明るい笑顔をいただくことの方が多いくらいです。
「被災された地域へ行く」などとと言うと、
何か立派なことをしていると思われると申し訳ないので、ちゃんとお断りしておきます。
1年振りの閖上日和山。
この一年でずいぶん様子が変わった印象です。
「暮らさない町」
自治体が方向性を決めたことで、必要なインフラ整備も進み出したということでしょうか。
閖上の日和山から。今日の景色。
震災翌年に訪れたときは、見渡す限り何も無い景色でした。
微かに残った家の基礎や歩道の化粧ブロックが、砂埃の中に存在するだけ。
あの衝撃は忘れ得ない。
(当時の様子は↑リンク貼った2年前のブログ記事に写真あります)
新たに建設される門脇小学校。
津波に罹災したかつての旧校舎は、
震災遺構にするのか、取り壊すのか、まだ結論は出ていないそうです。
表装的な改修工事が進む旧校舎。
グラウンドを使用する児童の心に配慮してのこと。
そのグラウンド。
かつて長渕剛が紅白で歌ったあの校庭…というとピンとくる方も多いかも。
日和幼稚園バスの悲劇があったところに出来たモニュメントは、
道路の嵩上げ工事のため少し場所を移設していました。
何度来ても、胸が締め付けられます。
鮎川の港町。
震災の日、この沖合の海がいったん“割れた”と言います。
津波の前に潮が退き、海底が覗いたというから凄まじい。
鮎川港にて。仮設のお土産コーナー。
爆買い…というほど買えないが、しっかり買わせていただきました。
この板わさがうまいんですねー!!
偶然にも渡波小学校では運動会が開催されていました。
4年前に、元気な子どもの姿を見つけたのも、この小学校だった。
当時、どこをみても「モノクロ」な印象の中にあって、
鮮やかな色彩を見つけたような気持ちになったのを覚えています。
4年前はこんな風に水を湛えた田んぼは無かった。
瑞々しく青々とした田を見ていたら、思わず泣きそうになった。
美しくて、力強いと感じた。
きっと、また来年も訪れます。
それと、私たちの町の防災、あるいは被災した際の心得や準備などにも、
ここでの見聞を少しでも役立てたいと思っています。
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