宮城県石巻を訪れて 2016

先日5月14日、15日と宮城県石巻市へ行ってきました。


震災から5年経ち、とりあえず瓦礫の山は姿を消し、

罹災したものの数年そのままになっていた家も取り壊され、

住宅や工場やお店など、新たに建物も増えて、町の景色はずいぶんと変わったように感じました。

※2013年、震災から2年目。はじめてこの地を訪問した際のブログです。
 http://d.hatena.ne.jp/iammeijin/20130522#1369228698



表面的に目に映ったものばかりを、

ほんの数枚の写真で伝えることしか出来ませんが、

ご覧いただけますと幸いです。



ちなみに私はボランティアに行くわけでもなく、ただ現地で「消費」することしかしていません。

宮城のものを食べ、宮城のものを飲み、宮城の空気を吸って、宮城の方とお喋りするだけ。

人間ならば、どこに居ようと当たり前に行うことを、石巻でしただけに過ぎません。


それどころか、当時罹災されて大変な想いをなさった方々から、

あったかい言葉、明るい笑顔をいただくことの方が多いくらいです。


「被災された地域へ行く」などとと言うと、

何か立派なことをしていると思われると申し訳ないので、ちゃんとお断りしておきます。




1年振りの閖上日和山
この一年でずいぶん様子が変わった印象です。
「暮らさない町」
自治体が方向性を決めたことで、必要なインフラ整備も進み出したということでしょうか。




閖上日和山から。今日の景色。
震災翌年に訪れたときは、見渡す限り何も無い景色でした。
微かに残った家の基礎や歩道の化粧ブロックが、砂埃の中に存在するだけ。
あの衝撃は忘れ得ない。
(当時の様子は↑リンク貼った2年前のブログ記事に写真あります)




新たに建設される門脇小学校。
津波に罹災したかつての旧校舎は、
震災遺構にするのか、取り壊すのか、まだ結論は出ていないそうです。
表装的な改修工事が進む旧校舎。
グラウンドを使用する児童の心に配慮してのこと。
そのグラウンド。
かつて長渕剛が紅白で歌ったあの校庭…というとピンとくる方も多いかも。




日和幼稚園バスの悲劇があったところに出来たモニュメントは、
道路の嵩上げ工事のため少し場所を移設していました。
何度来ても、胸が締め付けられます。



鮎川の港町。
震災の日、この沖合の海がいったん“割れた”と言います。
津波の前に潮が退き、海底が覗いたというから凄まじい。



鮎川港にて。仮設のお土産コーナー。
爆買い…というほど買えないが、しっかり買わせていただきました。
この板わさがうまいんですねー!!



偶然にも渡波小学校では運動会が開催されていました。
4年前に、元気な子どもの姿を見つけたのも、この小学校だった。
当時、どこをみても「モノクロ」な印象の中にあって、
鮮やかな色彩を見つけたような気持ちになったのを覚えています。



4年前はこんな風に水を湛えた田んぼは無かった。
瑞々しく青々とした田を見ていたら、思わず泣きそうになった。
美しくて、力強いと感じた。



きっと、また来年も訪れます。

それと、私たちの町の防災、あるいは被災した際の心得や準備などにも、

ここでの見聞を少しでも役立てたいと思っています。

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